ノクイアケス

ノクイアケスとゆう世界を舞台にした空想小説。

ある魔術師の記憶 30

その空間を満たすその空気には魔術師も気がついている様子で、微かに目を開いて精霊の方に視線を投げることもあるのだけれど、喋ることをやめようとはしない。

「何年もかかってやっと一発。シギーは約束を守ってくれた。それまでにも文字とか、知っていた方がいいだろう、って事をいろいろ教えてもらったけど、それまで以上に楽しかったわ…。…初めて使ったのは風の魔術、花びら一枚を飛ばしただけだったけど、髪がぐしゃぐしゃになるまで撫でてくれた。沢山殴られたけど、街にいたときにされたのとは違うって判ったし、シギーは沢山のものを与えてくれた。一度も恨んだことなんてない。分かってるはずでしょう?」

改めて魔術師の視線を受けた精霊はゆっくりと姿を消し、間もなく辺りから精霊の気配が消える。

「…何、か、あったんですか…?」

「…魔術を初めて使った日、ふらふらするなって思ってはいたんだけど、気がついた時には二日経ってたわ。倒れて、そのまま眠り続けてたみたい。魔術を使う度に似たようなことが起きて、段々に身体の調子が悪くなった。…生きるために必要なもの、元々魔力になるべきではないもの。私が魔術を使うために使っているのはそうゆう"ちから"なんでしょうね、シギーの言っていた皺寄せが目に見える形で現れただけ」

「…それが分かっていて、なんで魔術師として生きてるんですか…」

「…なんでかしらね。魔術を手放すことは考えられなかった。シギーは魔術を使うなって、もう一度背中の式を刻み直す事も考えてたみたいだけど、最後は私が我が儘を通したの。私はよくも悪くも裏表のないシギーに拾われて良かったとずっと思ってる。でも、シギーは必要のない負い目を感じていて、それまでだって私の事を考えてくれていたのに、余計に負担をかけることになってしまった…。…それで、魔術を手放す以外にどうしたらいいだろう、って…出した答えが、"私"が"魔術"を使うからこその何かを生み出すこと。…長い時を、人の暮らしを、起きた出来事のすべてを、歪めることなく伝えていくものを生み出そうって決めたの…。シギーは私の話を聞いても納得はしてなかったんでしょうけど、何かを一から生み出すのには時間がかかる、作り上げたいならその分身体を大切にしろ、って最低限の魔術で生きる為に必要な知識や経験をくれたし、それ以上のものも残してくれたわ」

僕が手にした蝋燭や、薪でする煮炊き。

その他にも魔術に頼らず扱える品が多いことが、初めの頃はずいぶん珍しかったはずなのに、いつの間にか"僕"にも扱えるものがある、その形が当たり前のようになっていた。

魔術師の言葉でそのことに気付いたのだけれど、魔術師の言葉はさらに続く。

「フィユリもそうよ」

あまり呼ぶことのない精霊の名を口にした魔術師はため息をつき、『大切だと思う相手ならそんなことを任せなければいいのに…』と段々と声が小さくなる中で言い、浅くてやや弱々しいけれど、途切れることのなく、静かに寝息を立てはじめた。