ノクイアケス

ノクイアケスとゆう世界を舞台にした空想小説。

ある魔術師の記憶 31

細工師は魔術師に薄手の布団をかけると、静かに僕を工房にある椅子へと促し、『少し話しませんか』と意識の半分は魔術師の方へ向けたまま、僅かに光る涙の跡をごしごしと擦って鼻をすすり上げる。

僕の方は僕の方で整理のつかない頭を落ち着かせようと、まだまだ濡れているのだろう頬を擦りながら、ゆっくりと深く、時間をかけた呼吸を繰り返した。

 

この夜の出来事の始まりはフィユリさん…精霊の『触れたかったのかしら』とゆう言葉。

そして『見れば分かる』と投げて寄越された蜜玉。

 

蜜玉を割って見たあの光景は、魔術師の話とつながるけれど、精霊の言葉の意味はまだ解らない。

 

魔術師の身体のこと、自分にとって魔術師が思いの外大きな存在になっていたこと、そして魔術師の昔話…。

 

自分の感情も含めてどれもこれも、今すぐにかみ砕いて飲み込めるほど簡単な話ではないし、きっとまだまだ理解していないことや足りない部分があるのだろうけれど、その部分を埋めたいと思うと同時に、もう一歩、二歩、と、踏み込んでいいのだろうかとも考える。

「…あの人の、さっきの話は、僕が聞いてしまって、よかったんでしょうか…」

少し離れた横並び…きっと正面から顔を合わせなくて済む様に、と選んだ座り位置なのだろうけれど、そのおかげか、躊躇いながらもそう口にする事が出来た。

本当だったら細工師に尋ねても仕方のないことだと理解していながら、誰かからの答えが欲しかった。

蝋燭の、やや頼りない明かりの照らす部屋の中は静かで、ごちゃごちゃとしている頭に落ち着きを取り戻すには向いてるいるのだろうけれど、答えを待つ今はその静かさが不安だった。

背筋を伸ばし、何かを見ているのか正面を向いたままの細工師。

息をしているのかどうかも一目には判らないけれど、脚の間で組み合わせた指だけがゆっくりと動いている。

ずいぶんと長くその沈黙が続き、立ち去ることももう一度口を開くことも出来ずに椅子の上で抱えた膝に顔を埋める。

「…あの人は、話したくないことは話しません。そのために…煙に巻くために、誤魔化す様な嘘をつくことはありますが、基本的には嘘もつかない人だと思っています。さっきの話にも嘘はないはずですし、口にしたのですから、それは話してもいいと思った、と、ゆう事なのだと思います…」

ゆっくりと、口にする言葉を一つ一つ確かめる様に、細工師は彼なりの答えを返してくれた。

その答え方は信用出来るものだったし、魔術師と長く暮らしている細工師の目は確かだろう、と思ったのだけれど、それと同時に、どろりとした泥の中から何かが浮かんで来る時の様に、精霊の事とは別の疑問が姿を見せる。

「…あの人は、僕がここに来た頃にはもう身体ががたついていた、と、言っていました。…僕は、人の不調…の、様なものがぼんやりと判る、の、です…けど…あの頃のあの人は、とても力強く見えていて…」

信用されないだろうか、と口ごもりながらも、今の魔術師と比べて、あの頃の魔術師は不調など感じられない程に強い波を放っていたことを細工師に伝えると、思いの外あっさりと僕の言葉を受け入れた細工師は、再び考えながら口を開いた。

「私には魔術も貴方の言う波もわかりませんが、その答えとして、もしかしたら、と思うことはあります。さっきの話にもありましたが、できる限り身体をもたせることを優先するように、と爺様に言われて、あの人は外へ向ける魔術を制限していました。ですが、身体の中で回復や強化に回す分には大きな問題が出ないから、と魔術を使うことで起きた歪みを魔術で補う…とゆう様なことを長いこと続けていて、あの頃にはすでに日常的な強化が必要になっていたはずです。今はもう、身体の強化に回すちからもままならないので、普段はほとんど横になって休んでいます。…もしかしたら、貴方と出会うよりももっと以前のあの人なら、また別の見え方になっていたのかも知れない…そうゆう可能性は、あると思います」

考えてみれば行き当たる事なのかも知れないけれど、それは、自分ではしたことのない考え方だった。