ノクイアケス

ノクイアケスとゆう世界を舞台にした空想小説。

ある魔術師の記憶 47

ここで暮らし始めてから今まで、必要最低限の外出しかしてこなかったし、街へ出たとしても通る道はいつも同じもの、こうして普段なら通らない道を歩き、曲がらない角を曲がる…なんてことをしてみると、行き止まりにぶつかったり、ぐるりと回って同じ場所に出たり、街の中とはいえまるで迷路の様で、冗談ではなく迷いそうになる。

街の外の人間ならば余計に道も分からないだろうし自分から知らない道に入り込むことはないか…と大通りに出た事をきっかけに細い路地へ入り込むことは止め、何カ所かある広場を覗き、買い物ついでに数少ない顔見知りに尋ねてみたりもしたけれど、結局あの子に会うことはなく工房へと帰ってきてしまった。

 

店の中にはレリオさんが一人静かに座っていて、僕は、裏に回ろうか、と店に足を踏み入れる前、身体半分が壁の陰になるような位置で立ち止まったのだけれど、砂を踏む音に振り向いたレリオさんと目が合ってしまい仕方なく一歩前に出ながら「ただいま戻りました」と小さく首を下げた。

「…おかえりなさい」

はっと振り向いた後で気落ちしたように波が弱まり、ぎこちなく笑うその様子と合わせて、表には出さずにいようとしながらもあの子のことを考えていたのだろう、とよく知らない相手であるにもかかわらず勝手にそう思った。

今日の二人のやり取りを見ていれば、誰でもそう思うだろう。

 

あの子はまだ戻っていない。

 

街で会うことはなかったとだけ伝え、少し落ち着かなくなってきた様子のレリオさんを残して部屋を出た。

荷物を奥に置くだけ置いて階段を下りていく。

下は物音一つないほどに静かだったけれど、階段の降り口から声をかけるとすぐに細工師の返事があった。

「ただいま戻りました」

「おかえりなさい…。買い物、ありがとうございました」

魔術師が目を覚ました様子はないけれど、フィユリさんが魔術師を包むのではなく傍らにたゆたっているところを見ると、身体の方は少しは落ち着いたのだろう。

僕の目に映る波も、今にも消えてしまうのではと感じる程にうすく、弱々しいくはあるけれど、激しい揺らぎもなければ途切れるようなこともない。

頭の半分は他のことに使っていただろうけれど、ここに下りて来るにあたって緊張し、目の前の様子に安心したのか、強く握りすぎて手の平に食い込んでいた爪の痛みにはじめて気がついた。

急に力が抜け、壁にもたれ掛かった拍子に棚の上の…魔術師が"がらくた"と呼ぶ古い魔道具のようなものを引っ掛けて落とし、周囲には大きな音が響き渡る。

その音に刺激されたのか、魔術師の波がふわっと揺らいで微かに広がり、その少し後にゆっくりと、瞳が開かれた。