ある魔術師の記憶 48
魔術師の瞳は開かれたとはいっても虚ろで、どこに焦点があっているのかも分からない様子らしかった。
魔術師の上でたゆたうフィユリさんの横から顔を覗き込むように首を伸ばした細工師は『分かりますか?』と少しだけ声を張るようにしてゆっくりと尋ね、魔術師は僅かに首を縦にふる。
「ここは"あなた"の工房です」
同じようにゆっくりとそう言った細工師に向かって、魔術師の唇が声のないままかすかに動いた。
「すみません、それを…今落とした物を持ってきていただけますか?」
服で汗ばんだ手を拭い、細工師の言葉に従って拾い上げた"がらくた"を持って魔術師のベッドへと近付くと、視界の端に僕の姿がうつったのか、視線がこちらに向いたのが判った。
「ありがとうございます…」
僕の手から細工師へと渡った"がらくた"は、魔術師に見えやすいように翳されてから程なく魔術師の手を添えるようにして胸の辺りへと預けられた。
手触りを確かめるように指先だけでそれに触れていた魔術師は微かに、それもぼんやりしていたら変化に気付かないのではないかとゆうほどにゆっくりと顔を歪め、しばらくしてまた唇だけを動かし、僅かに首を縦に振る。
「あなたは"彼"を預かって、魔術を教えていました」
「ずいぶん前から身体は思うように動きません」
「フィユリさんの身体も今は動かせません」
「彼もあなたの身体のことを知っています」
「今は外とのやり取りを彼に任せています」
細工師が言葉を切る度、魔術師の顔はそれまでの何処か悲しげな顔から、その言葉を訝しがっているように変わっていく。
再び声なく動いた唇に、『あなたに嘘はつきません。約束ですから』と応えた細工師の顔をじっと見ていた魔術師はしばらくして目を閉じた。
「…うそつき…」
目を覚ましてからはじめて声の乗った魔術師の言葉には非難めいた響きはなく、細工師は何を思ったのか困ったように笑顔を見せた。
時々自分で言ったことも忘れ、矛盾する事を口にし、人の言葉を信用しせずにその言葉の真偽を確かめようとじっと相手を観察していた魔術師、記憶が曖昧なことがあるらしいことは以前から知っていたけれど、細工師が魔術師の記憶を確かめ、足りなければその部分を埋めるような、そんな言葉をかけているところを見たのは初めてだった。
今言葉にしたのは事実だけだったけれど、"嘘をつく"と決めてから、今の言葉が事実になるように、きっと何度となく嘘もついてきたのだろう。
嘘はつかない、それが本当の約束なのかは僕には判らないけれど、嘘のある無しにかかわらず、二人のやり取りは僕の目からは何か大切なもののように見えていた。