ノクイアケス

ノクイアケスとゆう世界を舞台にした空想小説。

ある魔術師の記憶 41

レリオさんの家を訪ねたその日から、精霊と細工師の言葉の通り、寝る以外のほとんどの時間を地下の工房で過ごしはじめた。

工房で本を読み、魔術師が過去に作った魔道具から写し取った式を読み解く事を繰り返す…、そして、自分で式を刻むために魔力を込めようとしては、吐き気を堪えてうずくまる。

壁に身体を、とゆうか、頭まで完全に預ける様にして奥のベッドに身を起こした魔術師は、声をかけて来るでもなく、こちらの一挙手一投足を見逃さないようにとでも思っているのか、ただただ黙って睨むような視線をこちらへと向けていた。

それからの数日はその様子を目の端で捉えながら過ごしたけれど、新しく出来る様になったなどとゆうことが急に増えるわけでもなく、魔術師が何を思っているのか、と魔術式を前に同じ事を繰り返す中で意識の半分近くは魔術師の方へと向いていた気がする。

そんな僕の様子に気付いていたのか、細工師の姿も精霊の気配もなかったある日、部屋の奥から、薄暗い空間を切り裂いて突然、両刃の短剣のその切っ先だけを模ったような氷塊が顔を目掛けて飛んできた。

「何するんですかっ!!?」

立て続けにいくつも飛んで来た氷塊をかわし切れずに前髪と額、頬と鼻梁、首筋…と細い筋状の傷を数本作りながら壁の陰に隠れると、すぐに氷塊は止まったけれどこちらの声に応えるでもなく、魔術師はまだ黙っている。

ただ、それから程なくして布の擦れる音の後に、ごっ、とゆう固い音がして、さらにその後から大きな物を引きずり下ろしたような鈍い衝撃が伝わってきた。

嫌な予感に恐る恐る部屋の奥を覗くと、寝具を巻き込んだ形で頭から落ちたらしい魔術師が床の上に倒れていて、虚ろな目でこちらを見ていた。

微かに動く唇は何かを話しているようだったけれど、聞き取れる様な声量ではなく、僕は慌てて駆け寄り、ローブの中から預かっていた小瓶を取り出すと中の蜜玉を半分無理矢理魔術師の口に押し込んだ。

周囲に広がる光と景色に目を向ける余裕もなく、自分の額から垂れてくる血を拭い、床に擦れたのか、魔術師の額に出来た擦過傷とその周辺、そして手足の無事を確認すると抱え上げてベッドに寝かせなおし、濡らした布で魔術師の額を拭う。

「話は後で聞きますから、少し休んでください。…そんな状態で魔術を使うなんて馬鹿ですよ」

「…かは…っち…。じぶ…めに…って…。………。…ちは…の…いち…よ…」

「…本当に、話は後でいくらでも聞きますから…。お願いですから休んでください」

「…やく…きづけ…た」

そこで意識が途切れたのか、魔術師はすうっと眠りに落ちるように目を閉じた。

今すぐに息が止まることは無いはず、とは思ってはいたものの、しばらくは魔術師から目を離すことが出来ずにいて、その間に自分の傷の方は血が止まり、それどころか傷自体もほとんど塞がって茶色く乾いた汚れがこびりついていた。

「…治ってる…」

 

どんな時でも魔力を巡らせつづけること。

 

以前言い付けられた事が見えないところで実になっていたことに今更ながらに気がつき、目の前で眠っている魔術師が放つ波の弱々しさが一層悲しくなる。

「文句でも説教でも何でももらさずちゃんと聞きますから、もう、無茶なことしないでください」

思わず口に出た言葉は薄暗い部屋に吸い込まれるように消え、その向こうからは精霊の気配が近づいて来ていた。