ノクイアケス

ノクイアケスとゆう世界を舞台にした空想小説。

ある魔術師の記憶 49

「…あの人は私が口にした全てを忘れているわけではありません。きっかけさえあれば徐々に繋がります。…完全に、とは、いかないようですし、新しい出来事ほど曖昧になりやすいようですけれど」
『水が飲みたい』とゆう魔術師の言葉をうけて部屋を出た細工師は、買って来た物を片付ける為に後について階段を上がる僕にそう言った。
「頭がはっきりしてくればいつものように悪態もつくでしょうけれど、普段通りのやり取りで問題は無いと思います」
「…あの…さっきみたいなやり取りは、いつも…えっと、毎日…ですか?」
「いいえ、調子のいい日には前日のことも覚えています。…日によっては古い話すら思い出せない事もありますが、そんなときでも大抵は時間がかかっているだけで、そのうちに…。…話す必要は無いか、と思っていたのですが、実際はあなたを巻き込む前から所々ですこしずつ嘘をついてきています。あの人が何を真実ととらえているのか、私にはわかりませんが、嘘と解ったうえで受け入れていることもあるようですから…」
二人で裏口のほうへと向かいながら、細工師はその言葉を最後に口を閉じ、水差しを手にすると僕を残して外へと出て行った。

片付けの為に手を動かしながら、窓の隙間越しに、外におかれた素焼きの水瓶の近くで揺れる細工師の影を見ていた。
一度棚のほうへと身体を向け、しばらくしてから向き直ると、動いていたはずの影がぴたっと止まっている事に気がついたのだけれど、すぐに動き出す様子もない。
しばらく様子を見ていてもそれは変わらず、何かあったのか、と窺うように静かに戸口から顔を出して理由の一端はすぐに判った。
水瓶の横で困った顔で首を傾げている細工師の視線の先、水瓶と本当の意味でのがらくたをほうり込んでいる大きな木箱との間、そこからどよどよと大きく揺れつつ端々が細かくざわめく波、それもあのレースの様な特徴的なそれが覗いている。
そして僕は"よかった"と思いながら姿を確認しようと一歩前に足を出した途端に後悔した。
細工師の顔から僕の方へと視線を移したネイの顔、悲しげだったその顔が見る間に歪んでいくのと同時に波がより強くうねる。
すくっと立ち上がったネイは、走り出しこそしなかったけれど僕たちから逃げるように強く足を踏み出そうとした。
ただ、その一歩めが地面につくかどうか、とゆう瞬間に吹き付けた強い風に煽られて身を縮め、それにつられて足が止まる。
"こちらの都合で悪いのだけれど、あの子がレリオとその子に会うつもりになっているから、出来れば今、そのまま見送ったりしないで連れてきてちょうだい"
一瞬強くなったフィユリさんの気配はすぐに消え、強く吹き付けた風も止んでいる。
僕は今感じたフィユリさんの気配は本物だったのだろうか、とゆっくりと辺りを見回していたのだけれど、気がついたときには無意識にネイの腕を強く掴んでいた。