ある魔術師の記憶 46
それからしばらく、屋外から聞こえて来る賑わいの中で三人とも口を開くこともなく、時々手にしたカップを静かに傾けていた。
骨張った長い指の先、落としきれない油の染みた平たい爪、職人としての年月が伺える細工師の手。
およそ魔術師とは思えない日に焼けた肌、インクだけではなく、こちらも落としきれない植物や畑の土の色に縁取られた爪を持つ手はレリオさんのもので、どちらも顔立ちから推し量る歳からするとずいぶんと年季が入っているように見える。
それはあのネイとゆう子も同じで、自分の、紙に脂をすわれているのかかさついた指先と、僅かにインクの染みた爪を見て"僕の手はずいぶん若い…"と遠い後ろ姿を眺めるような気持ちになった。
先生はどんな手をしていただろう、魔術師はどんな手をしていただろう…と自分の手を見下ろしたまま、薄く二人の顔を思い描いたところで、はたと気がついた。
「すみません、先ほど言いそびれてしまったのですが…」
と口を開いた僕に二人の視線が集まり、"なんでしょうか?"と話の続きを問うような二人の目を順に見て、魔術師の体調が優れず今日中に顔を合わせるのは無理そうだ、とゆうことを伝え、改めて僕は細工師の顔を窺った。
「さっきの騒ぎはあの人ですか?」
「はい」
「フィユリさんは?」
「しばらく側に付いてらっしゃるのだと思います…。それでフィユリさんが、レリオさんは直接話もしたいのだろうけれど、どうしたらいいかと…」
細工師は地下に視線を向けていて、様子を見に行きたいのだろう事は伝わって来るけれど、レリオさんを気遣ってかその場を離れることはない。
「…私のことならお気になさらず…遠い訳でもありません。…またしばらくしてから伺います」
「すみません、助かります」
レリオさんは『いえ…』と答えたのに続き、あの子が戻るまで待たせてほしい、と頭を下げた。
それを受けた細工師は、新しく飲み物を用意しようと立ち上がり、僕もそれに合わせて立ち上がった。
「少し、近くの用事を済ませてきます。もしネイさんに会えた時には、今の話を伝えておきますから…」
飲み物の用意が終われば細工師はおそらく魔術師の様子を見に行くのだろう、と感じ、何となく、このままレリオさんと二人で店に残ることは避けたいけれど、細工師と一緒に下に行く訳にもいかないだろう、と用がある訳でもないのだがあの子を探しに行くと言うのも違うような気がして、その場しのぎに外に出る口実をでっちあげた。
「…。でしたら、帰りに少し買い物をお願いしても構いませんか?」
細工師はたぶん僕の言葉が嘘であることは解っているのだけれど、こちらに合わせてそう言って一度奥へと姿を消し、戻ったときには買う物のメモを手にしていた。
メモに書かれているのは最近では細工師が買いに出ていた食材が主で、その事からもやはり魔術師の事を気にしているのだな、と感じられる。
「お願いします」
「はい、他にも何かあれば回ってきてしまいますけど…」
「今のところは大丈夫です」
これもついでか、とレリオさんにも同じように、僕で済ませられる用事ならばと尋ねたけれど、レリオさんは静かに首を横に振る。
僕は二人に挨拶をしてから店を離れ、とりあえずあの子を探してみよう…と店の前から始まり渦を描くような道順で路地を歩きはじめた。