ある魔術師の記憶 36
「…それで、あの子は?」
「…問題ありません。いつも通りです」
机の上にはフィユリさんが宿った魔導人形の壊れて取れた首から上が、布を詰めた籠の中で少しだけ上向くように置かれていて、そのまま瞬きもなく口を動かしている。
はじめは籠も無く、薄い布一枚を敷いただけの机の上に置かれた…とゆうより転がされていたと表現する方が正しいだろう首の中に入って、そのことを気にもせず唇を噛んだりしながら試すように空気を通して、ふー、くー、などと音を立てていたフィユリさんだったのだけれど、話しはじめたその姿は、人形と解っていても落ち着いて話が出来るものではなかった。
それを細工師が察してくれたのか、手近にあったもので最低限顔を起こした格好に据え直されたフィユリさんは、「別にそのままで構わないのに…」といいながらも特に文句は無いらしく、改めて話を始めようとこの場に居ない魔術師について確認したようだった。
「昨日のことは、やっぱり覚えていないのね?」
「ええ、そのようです。ただ今朝は…最近口にしていなかったのですが、あとのことをどうするか、と」
「そう…。まだ彼には何も伝えてないのよね…?」
「はい。最近ははじめから任せられる仕事だけに絞って受けていますが、あちらとしてはいつもと変わらないはずですから」
一人取り残されたような二人のやり取りだったけれど、自分自身がどれだけ周りを見ていなかったかに気付いたあとでは口を挟む事もできず、聞き漏らすことの無いように、それだけは気をつけようと思った矢先、二人の視線がこちらへ向いた。
「貴方、これからどうしたい?」
「どうしたい…って、何をですか…?」
「あの子は間もなく…そうね、半年…半年もてばいいほうでしょう。その先…それとも今すぐ? ここに残る? 自分の街に戻る? …昨日のことは覚えていなくたって手紙くらい書くでしょうし、向こうの水鏡はあの子のことを多少なりとも知っている。私から見て偏見は持たない子よ…」
「…僕は…。…あの人は、街に戻れと、そう、言いました…」
「私が聞いているのは"貴方がどうしたいか"よ。誰にどう思われるかを考えてしない選択があるのは構わないけど、それより先に、自分の意思とゆうものがあるでしょう? 貴方がここに来るのを決めたのは、逃げただけかも知れないけれど、それでも貴方の意思だった。違う…?」
フィユリさんはそういうと人形から抜け出し、人の姿で僕を真正面から見つめ、もう一度、"貴方はどうしたい?"と僕に投げかけて、答えを促す様に微かに首を傾ける。
「…僕は…最後まで、ここに居たい、です」
"…最後まで?"
「先生の事があったのに、あの人の事も、見えているのに見ていなかった。そのことに自分では気付けなくて…。無茶苦茶な人だけど、今の僕にとっては大切な相手です、死んでしまうのが解っていて側にいるのは怖いけど、でも、知らないところで大切な相手が死んでしまうのを繰り返すのは嫌です」
悲しそうに、でも少しだけ口角をあげるようにフィユリさんは頷き、人形に戻る。
「貴方相手に醜態は曝せない。貴方の存在が、少なからずあの子にとって死ねない理由になっている。それは間違いない」
フィユリさんは細工師を見あげ、その視線に頷いた細工師は籠ごとフィユリの顔をこちらへと向けた。
「自分でここに居たいと思うならあの子が何と言おうとここに居ていい。嫌な顔して文句も言うだろうけど、貴方がここに居る理由は"作って"あげる。いい?」
何を答えたらいいのか、悩んだ末結局何も言えないまま小さく頷いた僕に、細工師はしっかりと頷き返し、フィユリさんは『さて、じゃあ早速理由作りよ』と、これまで僕が知らずに過ごしていたことを話しはじめた。