ある魔術師の記憶 25
人形から抜け出た精霊は何もいわずに外へと向かい、机を挟んだ反対側には、薄く開かれたまぶたから空っぽの硝子玉のようなものを覗かせたままの人形だけが残された。
「何だったんだろう…」
首を傾げ、一人で食事を続けながら、片手は傍らに置かれた紙の束をめくる。
魔術師が書いた資料とは別に残されていた、"シギー爺"が書き留めたらしい魔力の有無にかかわらず有用だろう知識の数々。
木材や金属、革等の加工法や植物の見分け方等が多く残されたそれは、きっと細工師の為に書かれた物なのだろう。
並んでいるのは魔術師の書いたものとよく似た癖のある字なのだけれど、魔術師の書いたものとは違い、その文字列からは誰かに読ませることを意識して書いたのだろう事が伝わって来た。
段々と意識が食事から資料へと移り、時々思い出したようにすっかり冷めた料理を口に運ぶ。
そんな状態でその文字を追うことをつづけていると、一歩一歩踏み締めるような小さいけれど重い足音に混じって、何かを心配するような細工師の声が聞こえてきた。
「…足元、気をつけて…背負うことだって出来るんだから無理しないで…」
部屋の入口から一歩入ったところで僕に気がついた細工師がぴたっと足を止めたかと思うと、肩に回されていた腕が急に引っ込みいつものようにかつかつと足音を響かせぴんと背筋を伸ばして歩く魔術師がその陰から現れる。
眉を寄せたその顔は見慣れたものだけれど、少し身体の線が細くなった魔術師から放たれる波はより一層弱々しくなっていた。
「あ、えっと…」
「…式は刻めるようになった?」
「えっ…いえ…なかなかうまくいかなくて…」
黙った魔術師の表情は明らかに曇ったのだけれど、僕を相手に苛立ったときとは少し違うようで、何処か"歯痒さ"のようなものが混じっている。
「…。貴方がどうしてるかは時々聞いているけど、考え方を変えるのも必要…」
言い切る前に魔術師はなぜか黙り、肩で息をするように身体を揺らして唇をかみ、強く目を閉じた。
「…は、どこに…の?」
聞き返すと魔術師のかわりに細工師に精霊の居場所を尋ねられ、外に出たことを伝える、そしてそれと同時についさっきの出来事について口にする。
すると、魔術師は傍らの棚のひきだしを漁り、小さな瓶を投げて寄越した。
「…当たりがあるかは知らないけど、割ってごらんなさい。たぶん解るわ」
瓶の中には飴玉のような丸い物…どうやら精霊の蜜玉らしい粒が四つ入っていて、魔術師は困惑する僕に『興味が無いならそのまま持ってなさい』と口にする。
そして、一度人形に手をかけたのだけれど、何をするでもなく、こちらに背を向けた。
「あ、あの…!」
「…何? 魔術の事なら少し考えるから後にして」
「いえ、そうじゃなくて…何処か、悪いんですか?」
「何の話?」
「身体、辛そうだから…」
「いつも通りよ。何ともないわ」
それが嘘だとゆうことは判って居るのだけれど、有無を言わさぬ魔術師の声に、僕はそれ以上の事を口にできないまま、魔術師の隣の細工師へと顔を向ける。
細工師は"大丈夫だから"とでも言うようにこちらに向かって微笑みながらもその表情は硬い。
僕は精霊や魔術師が言っていた『時間がない』とゆう言葉を思い出し、"まさか"と魔術師に重なった先生の姿を振り払うように強く首を振った。