ある魔術師の記憶 26
自分以外に誰もいない部屋。
目の前には空っぽの人形。
ほったらかしのかまどの中では最後のおきが崩れ、白く靄のかかった硝子の筒を被せられた蝋燭はゆっくりと燃えつづけている。
実際に使ったことも無ければ、使うところを見たこともないけれど、物だけは知っている小瓶の中身。
魔術師の身体の事、その心配を頭から追いだそうと、手の中のそれを気にするふりをする。
音を立てて蓋を開け、一粒だけころんと手の平に乗せてみる。
つやを放つその粒は、見た目よりも軽く、硝子や石に触れたときのような冷たさは無い。
強くつまむとゆっくりと歪んで崩れ、辺りにふわっと光が浮かんだ。
底が見通せるほどに澄んだ泉、光に透ける木々。
身体中に傷のある小鬼が勢いよく桶で組んだ水を被り、硬そうな髪をかきあげる。
急に後ろを振り返ったと思うとそこに女の子が勢いよく現れ、その勢いそのままに泉に投げ飛ばされた。
飛沫をあげて泉に突っ込んだ女の子は泳げないのかばしゃばしゃと水の中でもがくけれど、小鬼に慌てる様子はなく、動く勢いが少し落ちてきたころを見計らってその襟首を掴んで引き上げる。
むせるようにして水を吐き出した女の子は、風に包まれて浮かび上がったようだったけれど、嫌がるようにもがく。
あちこちに顔を向ける中でこちらを向いたそのしかめっ面と赤みがかった髪には見覚えがある。
幼いあの魔術師と小鬼が一人…とゆう事はこれがシギーさんなのだろう、と思っている内に、ゆっくりと光が弱まり、その光景は薄くなる。
ほとんどの光が消え、蝋燭の明かりだけになった部屋。
いつもならゆっくり移動する精霊が強い風を引き連れて現れたことで、机の上の紙の束がぱらぱらと音を立ててめくれていく。
"…今のは…貴方?"
「これ、ですか?」
"…あの子は?"
「貴方を探していたみたいですが、直ぐに向こうに」
"それ、何で?"
「…何でって…割ってみるといい、と、言われて…」
光球のような精霊の姿からは何を思っているのかを推し量ることも出来ないのだけれど、その沈黙は空気を重くする。
"それで?"
「使わなくても、そのまま持っているように、と…」
再びしばらく黙った精霊だったけれど、
"それ、持ってついて来てくれる?"
と言い、僕が頷くのを待って、人形に戻ることなく地下にある魔術師の工房へと向かっていく。
僕は明かりを手にその後を追い、最近では資料を借りに行く以外にはあまり近付かないようにと言われていた階段を静かに下りはじめた。