ノクイアケス

ノクイアケスとゆう世界を舞台にした空想小説。

ある魔術師の記憶 19

「ひどい顔ね」

夕方になって現れた魔術師はそう言うと並んだままの料理を下げ、その代わりの料理を再び棚に載せる。

「今朝…食事を届けるのを忘れてたから、それについては悪かったわ…と、思ってきたのだけれど、全然食べてないし、寝てもいないの?」

「…魔術…使えません。自分の身体に内側からかける事は出来ます…でも、他は何も…式を刻むことも魔石に魔力を注ぐことも…」

「全部試したの?」

「…炎以外は全部」

「…。…いいわ、ここに居てどうにかなるものかはわからないけど、貴方の気が済むか、私が耐えられなくなるまでは置いてあげる」

魔術師を見上げ、"聞き違ったろうか"と口をあけたままでいると、顔をしかめた魔術師が『何?』と首を傾げた。

「…何も、出来ない…の、に?」

「何言ってるの?」

「だって、今まで何もしてこなかったのかって…」

「出来ることと出来ないこと、試してみたのでしょう? 何も出来ないなら出てけ、なんて言った覚えはないわよ。…とりあえず、一度眠りなさい、食事は目が覚めてからでいいわ。足もしっかり治せたんだろうから、明日か明後日、一度貴方の家に行くわよ。魔術が使えないのは言っても言わなくてもいいけど、うちにくるならちゃんと話してからになさい。解った?」

躊躇いながらも頷くと、一瞬、微かに、本当に微かに、微笑んだように見えた魔術師は、僕の額を手で覆い、前の時と同じように否応なしに闇の魔術で感覚を鈍らせ眠りに向かわせる。

感覚が鈍り瞼が重くなるその中で『よろしくお願いします』と口にしたつもりだったが、その音は口の中でもごもごと不明瞭な音の塊になり、きっと魔術師には届かなかっただろう。

魔術師は魔術師でため息混じりに『しっかりやんなさい』と口にしたあとで、僕に向かって何かを話していたような気がしたのだけれど、その言葉を聞き取ろう、と思う余裕もなく、僕は眠りに落ちたらしかった。

 

半日眠りつづけ、まるで前日の朝をなぞるかのように姿を見せた精霊の、業となのだろう冷ややかな目に、ぎこちなく笑みを返す。

"眠れなかったの、ってもう一回聞く?"

「眠らされました」

ふっと、表情を緩めた精霊は"あとは食事と水ね"と言ったかと思うと風を起こして勢いよくカーテンを開き、音を立てながら窓を開ける。

"あの子、朝のうちに出かけるって言い出すだろうから、ゆっくりしてる時間はないわよ"

明るくなった部屋でよく見ると、棚の上の料理は昨日のものとはまた違っていて、夜中にわざわざ作り直したのだろうか、とそんなことを考える。

精霊が言った通り、食事と身支度を終えて間もなく、かつかつとゆう足音とともに魔術師が姿を見せ、頭の隅の方がずっしりと重いような、どうにも晴れない気分で僕は魔術師と二人家に向かうことになった。