ノクイアケス

ノクイアケスとゆう世界を舞台にした空想小説。

ある魔術師の記憶 27

地下、正確には半地下の部屋の中、天井のすぐ下にある窓だけがやや明るい。

二階にも個室があるらしかったけれど、工房の奥を簡単に仕切っただけの空間を魔術師が寝室がわりに使っていて、今明かりは無いものの、精霊が躊躇いもなく向かうそこに魔術師と細工師はいるらしかった。

「…何か用?」

こちらに気付いて傍の椅子から立ち上がった細工師ではなく、ベッドの上で背中を丸めるように横になったままの魔術師が少し苦しそうな声を出す。

"悪いけど、少し押さえていてくれる? …ほら、それ、無理にでもあの子の口にほうり込んで"

細工師と僕は戸惑った顔で同時に精霊に目を向けたけれど、精霊は球形のままでそれ以上何かを言うことはなく、『何考えてるのよ』と身体を起こして睨む魔術師に近付くと、僕達をよそにその腕をや頭を風で絡めとるように押さえ付け半ば無理矢理開かせた口に、僕の手の中から運んだ蜜玉をほうり込んだ。

"少しは楽になった?"

抵抗するような魔術師を押さえ付けたまま、しばらくしてそう尋ねた精霊、魔術師が何も答えない代わりなのか『すみません』と細工師が口にする。

「何しに来たのよ」

"探していたのでしょう?"

「…こんなことの為じゃないわ」

"そうでしょうね…でも、貴方が何を思っていようと、私は最後までここに居るわ。あの人との約束だもの"

「…そればかりね」

むすっとした魔術師の身体を精霊はゆっくりと横たえ、その顔の上で女性の顔へと形を変えた。

"他に言うことは?"

苦い顔で視線を反らした魔術師はしばらく黙った後で天井に視線を向けたまま『貴方、もと居た街に帰りなさい』と静かに口を開いた。

「式を刻めるようにはならなかったけれど、貴方の知識と式を組む力は誇っていい。あの人…自分の師に感謝することね。…以前会った水鏡を覚えているでしょう、彼女なら事情を話せば貴方のことを良い形で使ってくれる。表には出せなくても、自身の身体の中で魔力を扱う事はうまくなった。以前程自分のことを口にするのにも抵抗はないんじゃないかしら…それに、彼女は私よりずっと面倒見がいいし、もしかしたら、彼女のもとならもっと出来る事が増えるかもしれない…」

「…ここに居るのは…始めから、迷惑だったとは思いますけど、えっと…出て行け、って事ですよね…」

「…そうよ、って答えるべきなのかもしれないけど、今の貴方に余計な棘を刺したくないし、貴方が悪い訳じゃないって、はっきり言っておくわ。…たぶん、私はもうすぐ死ぬ。何処かが悪いとかじゃなくて、身体がもたないの…」

口を半開きにしたまま固まった僕をちらと見て、魔術師は『知らせるつもりはこれっぽっちも…』と胸の前に持ってきた指先をばつが悪そうな顔で限りなく狭め『…無かったんだけど』とその腕で顔を覆う。

「同列には絶対ならないとはいえ、同じ事を繰り返すのも…と思ったのが半分、後の半分はよくわからない。押し付けるみたいで悪いわね…」

その後はしばらく沈黙が続き、いつの間にかぼろぼろと涙を流していた僕の背に、ぐすっと鼻を擦った細工師が手を添え、女性の姿でベッドに腰掛けるような格好の精霊は風で魔術師の髪を撫でる。

「…必要な物は全部持って行っていい。必要なら水鏡…彼女宛てに手紙でも何でも書くわ…」

「…身体がもたないって、何故そんなことがわかるんです、ただ少し具合が悪いだけかもしれないじゃないですか」

自分でも何を言っているんだろうと思いながらも、食い下がるような言葉を口にし、精霊と細工師の視線を受けてごしごしと袖で顔を拭って、顔を覆ったままの魔術師の腕に睨むような視線を投げた。