ある魔術師の記憶 24
魔術師が工房に篭るようになってから、来客の対応は殆ど僕の仕事のようになっていたけれど、その多くは魔術師本人が居ないとどうにもならない事のようで『本人は今対応できない』と告げるとほぼ全員がそのまま店を後にする。
魔術師が姿を見せないことを承知でやって来るのは、怪我をした僕を運んでくれて以来時々姿を見せる獣遣いくらいのもので、それまで受けていた仕事がどうなっているのかは知らされていなかったが、生活の流れは変わらずにいた。
獣遣いはといえば、僕や精霊を前にしても特に話すことはないとゆうのに、手土産に薬草を持って月に一度くらいの割で現れた。
受けとった薬草でお茶を入れると、少しだけ表情を緩め、湯気の立つそれを静かに飲んで、ただそれだけで帰っていく。
今日もまた、同じように黙ってお茶を飲む彼女が目の前にいる。
「もう少し召し上がりますか?」
「いいえ、お気遣いなく」
答えた彼女の視線の先には椅子に座った状態で壁に身体を預けるようにして目を閉じている精霊の…正確にいえば魔導人形の姿があるのだけれど、動く気配はなく、それだけを見れば眠っているようにも見える。
"何か気になることでもあった?"
しかし中身は形を定めないまま頭上でたゆたい、獣遣いの様子を見てのんびりとそう尋ねている。
「その姿で居るのはあまり見ないので」
"そもそもあまり会わないじゃない"
「…そうですね」
空いたカップに視線を落とした獣遣いは、眉を寄せ、しばらくそのまま黙っていたのだけれど、それは精霊の言葉に気を悪くしたわけではなかったらしく、何かを考えているらしいその顔のまま『触れたいのだとばかり…』と呟いた。
"…嫌な子"
呟きに応えた精霊の声は何処か暖かく、姿を現しているときならばきっと微笑んでいるだろうと感じられる響きを含んでいた。
その日の夜、食事を取る僕を人形の中から眺めていた精霊は、机に頬杖をついたままの格好で片手を伸ばして僕の頬をつまむようにして動きをとめた。
「何ですか?」
「実体を持った精霊に触れたことはある?」
「いいえ。魔力を結晶化出来るほどの精霊が人間のそばに来ることはあまりないんじゃないですか…?」
「…そうねぇ、そうよねぇ…」
「いつまでそうしてるつもりですか」
「貴方、今までに共にしたいと思う相手がいた?」
「…いいえ」
「誰かに触れたいと思ったことは? オトモダチでも、親でも、そうゆうのはある?」
「それは、あると思いますけれど…何ですか急に」
「…ふふ、なんなのかしらねぇ…」
人の肌とは違う固い指が頬からはなれ、最近なぜか以前よりも少しぎこちなく見える動きで伸びをした精霊は、その後でもう一度『なんなのかしらねぇ』と呟き、再び頬杖をつく。
「触れてみたかったのかしらねぇ…」
闇の中に僕ではない誰かの姿を描いて居るのか、精霊は一点を見つめたまま寂しそうな顔で微笑み、染み付いた人の仕種で、深くため息をつくように身体を揺らした。