ノクイアケス

ノクイアケスとゆう世界を舞台にした空想小説。

エマナク 33

シャトが舞台の裏に回り込もうとした時、その腕が突然掴まれ、反射的に手甲から針を出す時の動作が出たが、舞台の為だけに着替えたシャトの腕には何もついてはおらず、そのまま押さえ付けられるように壁に背中をつく。

「さっきの吐息も良かったけど、ほんのり染まったその頬、俺好みだ。飾り気のないその格好だっていうのに、その色だけで匂い立つようじゃないか。舞台の上じゃ顔色一つ変えなかったから余計にそう感じるのかな?」

シャトの顔を覗き込んだのは短い髪を無造作に撫で付けた細身の男で、ぴったりとしたシャツに革と金属で出来た肩当てつきの軽い胸当て、その軽さとそぐわない大振りの手甲と背に負った大剣…似た部分があるとは言えあの重鎧と比べると明らかに装備が軽いが、それ以上に軽薄な口振りはずいぶんと寒々しい。

シャトは相手をするつもりは無いようで感情のない顔で腕に力を込めたが、シャトの力では男の腕はびくともせず、更に続けて口を開く。

「俺のところで飲み直さない? あんなのとの差し飲みじゃ味気なかっただろ」

「放してください。冗談に付き合う程暇ではありません」

「冗談じゃないさ。君には他の女達を振り払ってでも声をかけたくなるだけの魅力がある」

「…馬鹿馬鹿しい」

シャトが苦々しく呟くと男の背後に白い陰が伸び上がり、ぶん、と音を立てて男の脇腹をえぐるような角度で太い腕が振り下ろされたが、一瞬早く飛び退いた男は体勢を立て直すと同時に抜いた剣をその陰に向かって構え、挑発的な笑みを浮かべる。

「つれないなぁ…」

毛を逆立て、シャトと男の間に立ちはだかるオーリスは男が少しでも動けば容赦なく吹き飛ばすつもりのようだったが、オーリスに続いて姿を見せたシアンが、訝しがるような顔をしては居るものの、更にその間に入ったことで仕方なくその身体の周囲で逆巻いていた風をおさめた。

「"うちの娘"に何か用? 剣なんか向けて、どうゆうつもり?」

「…少し話をしていただけだよ」

剣を納めた男は額にかかった髪をかきあげシアンを一瞥すると、シャトに向かって『明日の舞台も楽しみにしているよ』と投げかけ、酒場に向かって歩き去る。

酒場では給仕ではないだろう数人の女達が男を迎え、ちらと振り向いた男はどうやらシャトに向かって笑みを浮かべたようだったが、女達に挟まれるようにしてそのまま酒場の奥へと姿を消した。

「何だあれ…」

単に疑問を持っているのか、それとも呆れているのか、嫌悪の表情とは違うが人目を憚らず顔を歪めたシアンは、オーリスと、その陰になっているシャトに向かって『何だか知らないけど平気か?』と声をかけ、顔を覗き込む様にして自分の首筋を擦っている。 

「何か嫌な感じの奴だったな…」

「…えぇ」

感情の読めない顔をしているシャトだったがマイナスの表現をしたシアンに珍しく同意の意を示し、その後で僅かにしかめた顔には拒絶ともとれる色が滲んでいた。