ノクイアケス

ノクイアケスとゆう世界を舞台にした空想小説。

エマナク 32

「いや私は…」

「何だ飲まねぇのか…」

どん、と酒瓶を下ろした小鬼の"興が削がれた"とでも言うかなような視線にシアンはその場を離れ、先程まで座っていた椅子に戻ると頬杖をつき、黙って二人を眺めながら手近な酒瓶に直接口をつける。

観客の半数ほどはまだまだ騒ぎの大きなうちから順々にその場を後にし、酔い潰れてはいても仲間に抱えられて宿へ向かう者も居て、元々客席だった広場の一角は完全に潰れた数人が鼾をかいて居るだけで人の数はずいぶんと減ってきていたが、広場を囲むように口を開いている店々はまだまだ賑わっていて客の出入りも少なくはない。

手が空く度、店の方から空の瓶や皿を回収にくる者は始めこそその場に残っている者達のとりあわせに首を傾げ、それぞれ足元の酔っ払いには軽蔑を、シャト達には興味を含んだ視線を送っていたが、仕事の忙しさも相まって段々と片付ける事だけを考えるようになっているらしく、長居をして聞き耳を立てるとゆうこともないようだったが、小鬼はシアンは別として人がはけた時を選んで話し出した。

「あれの手ぇ見たか?」

「はい」

「お前さんどっから来た?」

「西から」

「…なら判るだろうが、あれの薬に必要な物、手持ちが有るなら売っちゃぁ貰えないか? 普段なら切らしゃしねぇんだがな…。このまま北に向かうつもりだったが、手に入るなら早い方がいい。言い値で構わねぇが、どうだい」

目をわずかに細め、うっすらと唇を開いたままシャトはしばらく小鬼の顔を見つめていたが、やがて穏やかな表情を浮かべて頷き、『どちらにお泊りですか?』と尋ねる。

そして自分の声に重なるように小鬼の背後から聞こえてきた金属の擦れる音に小鬼越しに広場を見渡し、ある一点で視線を留めると軽く首を下げた。

そう大きな音ではないのだが、がしゃがしゃと音を立ててこちらへと向かって来るのは先程の重鎧で、シャトに続いて振り向いた小鬼は座ったまままだ遠いその姿に声をかける。

「おぅどうした、何かあったのか?」

答えないまま小鬼のそばへとやって来た重鎧の片手には鎧の上からぐるぐると布が負かれていて、手甲は外れたままのようだったが肌が覗くことはない。

兜の奥からシアンをちらと見たような気配はあったが、重鎧は特にそちらを気にすることもなくシャトに向かって深々と頭を下げ『先程はありがとうございました』と口にしてから小鬼を見下ろし、何をどう口にしたらいいのだろうか、と黙り込む。

「何でぇ、黙って突っ立ってんじゃぁねぇよ。言うことがあるならさっさと言えや」

「さっき薬の話がでて…。それで…」

「あ"ぁ!? そんなこと言ってなかったじゃねぇか馬鹿野郎!」

「すみません、人も多かったので、私が落ち着いた頃にとお願いしたんです」

シャトが言う前に小鬼は椅子の上に立って重鎧の腹を強く蹴ったが、鈍い金属音がした割に小鬼の脚にも重鎧の身体にも大してダメージはないらしく、よくあることなのか二人の間ではそれ以上特別なやりとりもなくそのまま話が進んでいく。

「…それならそれで言やぁいいだろ、嬢ちゃんが思い切りよく飲んでくれたからよかったが、そうでなけりゃ嫌な思いさせちまったかも知れねぇじゃねぇか!」

「わざわざ言うことでもないかと…」

「何言ってんだこのうすらとんかち! てめぇの身体を他の奴らがてめぇ以上に心配してんの解ってんだろ!! 時期が悪くなるってのに北に向かってんのは何の為だと思ってんだ、ぁあ”っ!?」

重鎧が言い終わる前に被せるようにまくし立てた小鬼はさっきよりも強く重鎧の事を蹴り飛ばし、吹っ飛んだ重鎧はそのまま木箱を巻き込んで派手な音を立てる。

「身体に負担をかけるのは…」

シャトの言葉にどすんと腰を下ろした小鬼は残っていた酒をあおって大きく息を吐き、眉間にしわを寄せて目を閉じる。

「…すまねぇ。…ここで店ぇ広げる訳にもいかねぇだろうから続きは嬢ちゃんの都合に任せるよ。早いに越したこたぁないが、明日でも明後日でも構ぁねえから」

「いえ、今からお二人の宿までお伺いします。それから、"森の人"には以前ずいぶんとお世話になりました。量もそうないですし、お代は必要ありません。先程もそうゆうことでお話を…」

「そぅはいかねぇよ。嬢ちゃんが世話になったってのはあれとは何の関係もない奴らだ。嬢ちゃんの気持ちはありがてぇが、こっちもそれは譲れねぇ。解ってくれ」

 

木箱の残骸から身体を起こした重鎧はシアンが差し出した手に首を振り、一人で立ち上がる。

シャトはそちらに向いた小鬼の横顔に向かって小さく頷き、『荷物を取ってきます』と一人で舞台の裏の建物へと向かって行った。