ノクイアケス

ノクイアケスとゆう世界を舞台にした空想小説。

エマナク 31

「…シアンさん」

「あ、シャトよかった、無事? 鎧も?」

「無事です」

「とりあえずよかった」

シアンはマチルダが駆け出したと同時に飛び上がったシャトが勢いよく舞台の上を横切ったオーリスに掴まり、火球へと向かって疾走していくのははっきりと捉えていたらしく、火球の光にのまれかけた重鎧の影と重なったところで見失ってはいたが、無事なのだろうと根拠なく決め込んでいた。

「アーキヴァンはダウンしてる。マチルダは囲まれてるけど無事」

「大きな被害が出なくてよかったです」

「二人ともずいぶん強かったのな…」

騒ぎの中心から少し外れた場所で話していた二人だったが、持たされた木のカップに注がれた酒を前に困った顔のマチルダを見てそちらへと足を向けた。

「私はあまり強くないので、申し訳ありませんがもう…」

「何でよぉ、ほら飲んで飲んでぇ…」

「そうだぞ、ほらぐいっと!!」

囃し立てる声をむげにもできない、とマチルダが仕方なく口元へと運ぼうとした酒が並々と注がれたカップ、それを隣から伸びた手が押さえたかと思うと、そのまますっと奪うようにしてあおり、一気に飲み干した最後に『ふぁっ』と息を漏らしてカップを逆さに盃が干された事を示すと、周りはちょっと黙った後で『ねぇちゃんいいぞ!!』『もう一杯いくか!?』とまた盛り上がり、今度は栓の抜かれた酒瓶を掴んだ手があちこちから伸びて来る。

「飲むだけなら私が代わります」

チルダに向かって微笑んだのはシャトで、マチルダだけではなくシアンまでが目を丸くして言葉を失う中、注がれる酒を次々に飲み干していく。

いつの間にかシャトが騒ぎの中心になっていて、飲み比べだなんだと次々に運び込まれる酒の樽や瓶を避けて輪を離れたシアンとマチルダは、所々で酔っ払っていない観客からの賛辞を受けつつ言葉を交わす。

「シャトさん大丈夫なんですか?」

「…いや、私もわかんないけど、自分から始めたんだから大丈夫なんじゃない…?」

「お礼もまだだとゆうのに、重ねてご迷惑を…」

「お礼?」

「たぶんですが、オーリスさんが火球の炎を抑えたうえで、受け流すのを手伝ってくださったのだと。そうでなければさすがにあの勢いの火球に圧されて火傷一つ負わないなどとゆうことはないでしょうから」

「…はぁー全く器用だねぇ。何にしてもシャトの事このまま放っておく訳にもいかないから私はこっちに居るけど、マチルダはアーキヴァンの方行ってあげて。トゥエリと一緒に裏に居るから」

「助かります。よろしくお願いします」

「はいよ」

二人のやり取りの間もシャトは注がれる酒を干しつづけていて、始めから酒を飲んでいたのだろう数人は既に潰れて椅子から崩れ落ちるように寝入っている。

「まだまだいけるかい?」

「ほらほら酒足りないよ!」

黙って注がれた酒を干すだけのシャトだったが、周りはその飲みっぷりに勝手に盛り上がり、店からは次々に酒が運ばれて来る。

一体誰が代金を払っているのか、と考えながらもシアンはシャトの姿が見える場所に陣取り、手近な瓶から控えめに注いだ酒をちびちびと嘗め、並んだ料理に遠慮なく手を伸ばす。

 

「…邪魔するよ…」

酔い潰れた人数がずいぶん増え、酒が減るペースが落ちてきた頃、シャトの座っていた椅子の前に置かれたテーブルがわりの木箱の上にどん、と大きな酒瓶が置かれ、それをはさんだ向かいにどかっと一人の小鬼が腰を下ろした。

「うちの若いのが世話になったらしいな」

深い皺の刻まれた顔を歪めるように笑ってはいるが、細められた目の奥にはシャトを値踏みするような色が浮かび、それに気がついているのかシャトは何も言わずに真正面から表情を変えることもなくその目を見返す。

そのまま身じろぎもせずに居た二人だったが、そのうちに小鬼の方が静かに首を横に振った。

「…まぁいいさ。一杯付き合いな」

シャトの目の前のカップに注がれるのはこのあたりでは一番強いと言われる酒で、大きなカップに並々と注いで飲むなど正気の沙汰ではないのだが、小鬼は同じ大きさのカップをとると同じように並々と注ぐ。

「さぁ、ぐっといくといい」

小鬼がカップを掲げそう言うとシャトも躊躇いなくカップをとり、軽く掲げて同時にあおる。

事の成り行きを黙って見ていたシアンだったが、さすがにまずいのでは、と席を離れてシャトが倒れ込んだ時のためにその背後に回り、頭越しに小鬼を見下ろしていた。

「…ほぅ…」

シャトはどこか色っぽい息を漏らしてカップを離し、柔らかく口角をあげる。

それは悲しげな目元と不釣り合いな微笑みだったが、一呼吸置いてカップを伏せた小鬼は、くくく、と喉を鳴らしたのに続いて空を仰ぐように笑いだし、存分に笑うと、始めとは違って心から楽しそうな顔になる。

「いいねぇ、気に入った。獣遣いはそうでなけりゃぁな。餓鬼ぃ助けてくれてありがとうよ。しばらくはこの街にいるだろうからな、何かあったら尋ねて来るといい。礼になるかも判らねぇが、俺らに出来ることなら手を貸そう」

そう言って再び自分のカップに並々と酒を注いだ小鬼は『それとは別件なんだがな…』とシャトを見た後でその後ろのシアンに視線を送り、味わうように酒を口に含みながら"飲むか?"と尋ねるかわりに酒瓶を掴んだ手をぐっと突き出した。