ノクイアケス

ノクイアケスとゆう世界を舞台にした空想小説。

エマナク 30

「アーク! 壁っ!!」

男の火球が巨大化するのを認識した瞬間、マチルダは叫ぶと同時に舞台を蹴って駆けだし、ありったけの魔力で自分の前方に水で覆われた氷の盾を掲げて観客と火球の間に位置をとる。

舞台に膝から崩れ落ちた様に見えたアーキヴァンだったが、口の中で『大丈夫、出来る、大丈夫』と何度も繰り返して勢いよく両手を舞台につくと、全身の毛がざわめく程に強く巡らせた魔力を放出する。

それとほぼ同時、観客とマチルダの間に透明でありながら七色に光る柔らかな線で繊細な紋様が施された壁、防壁となる結界が弧を描いて立ち上がり、席を離れて散り散りに駆けだそうとした観客達には『動かないで!!』とマチルダとアーキヴァンの双方から有無をいわせぬ声が飛んだ。

 

周囲を見通せなくなる程に濃い靄に包まれる広場。

「…助かった」

「助かった…!!!」

チルダの掲げた盾とぶつかり上空に向かい跳ね上がった後、火球は徐々に勢いを失い、こぼれ落ちたその残り火まですべてが消えてなくなると、靄の薄れはじめた広場のあちらこちらから一つ、二つと声が上がり、それに引っ張られるようにいつしか観客は男女問わずマチルダとアーキヴァンを抱え上げて騒ぎ出す。

「ねぇちゃん達すげぇなぁ!!」

「かっこよかったよぉ」

「芸人にしとくにゃ勿体ねぇな」

「ほら祝儀だ祝儀!」

「誰かお酒持ってないのぉ!?」

酔っ払って緩んだ頭に非日常の出来事が重なったからか、マチルダとアーキヴァンの胸元には金貨や銀貨が二枚三枚と次々に放り込まれ、中には財布ごと紐で首にかけて来る者もいる。

気がついた時にはもみくちゃになった二人の周りに近くの酒場から酒の大樽と料理が持ち込まれ、舞台の前は宴会場と化していた。

舞台に上げられた少年達はどさくさに紛れて姿をくらまし、シアンはマチルダの目配せで今にも倒れそうなアーキヴァンを抱えて舞台の裏手の建物へと避難させ、裏方として手伝ってくれていたトゥエリにその場を任せると広場へと戻ってシャトを探す。

しかしオーリス共々シャトの姿はどこにも見えず、マチルダを一人酔っ払いの中に置いておくのに気が引けたのか、シアンもすぐに騒ぎの中に入って行った。

 

「大丈夫でしたか?」

広場の一角の物陰、人の肌とは思えないほどに赤い手の甲が覗く腕をオーリスにくわえられ、緊張した様子を見せる重鎧に、ひしゃげた手甲を差し出したシャトは口元を覆っていた衿を下げ、顔を覆う兜越しにその顔を窺っている。

重鎧は問い掛けには一切の反応を見せなかったが、どうやらオーリスにくわえられたままの腕を気にしているらしく、それに気付いたシャトがオーリスに向かって軽く頷くと、それと前後してオーリスは重鎧の腕から口を離す。

歯が立っていた訳でもなく、引き抜こうと思えば抜けたのだろうが、離されてやっと重鎧はその手の先を隠すように腕を下ろした。

「大丈夫でしたか?」

「…すみません。助かりました」

ティーナよりもずっと背が高く、身体全体もがっしりと大きいのだが、声はそれほど太くはなく、まだ若いのか少しおどおどした様子で答えた重鎧は差し出されていた手甲を受けとり、がしゃん、と音を立てて頭を下げる。

「肩も平気ですか?」

「特に問題は…」

「そうですか。なら、いいんです」

そう言うと、シャトもぺこりと頭を下げ背を向けて歩き出したが、数歩歩いて立ち止まると、振り返って『私の勘違いならごめんなさい』と前置きをして一度黙り、少しして再び口を開く。

「…南には必要な薬草がないと聞きました。もし、今必要なものがあるのならあの辺りの騒ぎが静かになった頃舞台の裏にどうぞ。知り得る限り必要だろうと思う物を置いておきますから、好きに持って行ってください」

重鎧が反応を返すことはなかったが、シャトは言うだけ言うと再び頭を下げて駆け出し、すぐにオーリスに飛び乗って一度空高く駆け上がる。

そして広場の淵をなぞるように大きく円を描き、広場の反対側から舞台の裏手に降りて、オーリスを伴い酒盛りで騒ぎになっている客席へと向かって行った。

 

重鎧はその姿を見上げ、背に負った剣が地面や鎧と擦れてずり上がる事も気にせずどしゃんと音を立てて座り込んだかと思うと、泣いているのか、怒っているのか、妙なうなり声をあげて拳で目の前の地面を強く打ち始める。

しばらくして身体を起こした重鎧、地面を打った拳からは赤い血が滲み、放っておくと鎧の中をつぅっと伝っていくようだったが、そんなことを気にする余裕はないのか、身を縮め小さく嗚咽をもらすと自分を殴るようにして立ち上がり、ふらふらと街の中へと姿を消した。