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「おさまったみたいだな…」
濡れた髪と肩にかかった布が風に吹かれているが、戻ってきたシアンは寒そうな素振りも見せず結界の紐の外でむすっとした顔で襟足の辺りをがしがしと掻いている。
カティーナは何も言わず結界を開き、シアンも黙ったまま中に入ると周囲の空に溶け込んだ西の空を見上げ、がしがしと布で頭を拭きはじめた。
風は西に向かい、距離もあるために臭いが流れて来ることはなかったが、心なしか周囲の鳥がざわついていて、一度は眠ったはずのオーリスとギークが目を覚まし顔を上げている。
特にオーリスは身体を起こし、西を睨むようにしながらシアンやカティーナでも読み取れる程の、普段は見せない険しい表情を見せ、鼻の上にしわを寄せていた。
「オーリス大丈夫、カティーナも居るし結界も張ってあるから。交代の時間まで眠れなくても休んでな」
オーリスはシアンに一度視線を送ったが、険しい表情のまま再び西の空を睨むとそれまでとは反対の、闇に近い方へと顔を向けるように体勢を変え、鳴くことも鼻を鳴らすこともなく地面の一角に視線を据えると何かを感じているのか、それとも何かを考えているのか、より険しい顔をする。
しかしそれはシアンとカティーナからは見えず、ギークだけが心配そうにオーリスを振り返っていた。
しばらくしてギークが顔を下ろし休む体勢になったのを見てシアンは"大丈夫そうだな"と、まだ湿り気を帯びている髪を手で梳きながら、
「じゃあ私も寝るわ。あとよろしく」
と、矢筒と弓をとる。
「はい。おやすみなさい」
立ったままシアンを見送ったカティーナはどうやら自分のことを窺っているらしいギークに微笑みかけ、『安心して休んでください』と明かりのそばに腰を下ろし、"不思議な色でしたね"と膝の上に作りかけのローブを広げながら朱に染まった夜空を思い出していた。
鳥達のざわつきはひどくなることはなかったがしばらく続き、おさまった、と思うとまたざわつく、とゆうのを何度か繰り返した。
しかし、そのほかにこれといったことは起こらず、カティーナは淡々と針を動かしていく。
交代の時間が近付くと、誰に言われるでもなくギークと少し落ち着いたらしいオーリスがカティーナのそばへと場所を移し、一度顔を見合せるようにしてからそれぞれが地面に伏せ直す。
ただ、ギークの背のイミハーテはその揺れでは目を覚まさず、そのままにしておくつもりなのか、オーリスとギークには起こそうとゆう動きはないようだった。
そのうちに、休みなく、それでいてゆっくりと動くカティーナの手を二匹が揃って見つめ、時折何かやり取りをするかのように顔を見合わせてはまたカティーナの手へと顔を向けるとゆうことを何度か繰り返し、交代の時間になるとオーリスは身体を起こしてカティーナの背を鼻先で軽く押した。
「そろそろ交代の時間ですが、切りのいいところまで進めたいのでもう少しここに居させてください」
そう言ってオーリス達を見たカティーナに、ギークは意味ありげに低く鳴いたが、その意図はオーリスにも伝わらなかったのか、ただただ闇に溶けていく。
「…? すみません、シャトさんのようにはいかないので…」
それからカティーナはオーリスとギークを相手に小さな声で、辺りの木々や岩、時々姿を見せる精霊のことなど、目に映った何でもないもののことをとぎれとぎれ、思いつくままに口にする。
「植物も鉱石も私にはわかりませんが、きっと詳しい方にとっては面白いものもあるのでしょうね」
丁度長い一辺を縫い終わったカティーナがふう、と息を吐くと、オーリスが立ち上がりシャトの休んでいる幕の方へと向かっていく。
「オーリスさん?」
カティーナがどうしたのだろう、と振り返るとオーリスは幕のすぐそばに座り、それから間もなく幕の入口が静かに開いた。
カティーナに気付くと、何処か困った顔のシャトは小さく頭を下げ、ゆっくりとした動作で靴を履いてオーリスを抱きしめるようにふわりとその首に手を回す。
オーリスはそれに応える様に鼻を鳴らし、腕の中にありながら尚もシャトに擦り寄るように、優しく顔を寄せているようだった。