ある魔術師の記憶 11
工房のことに関して二人はそれ以上何かを言うことはなく、『突然訪ねてごめんなさい』とだけ口にすると母達に挨拶をして帰って行った。
母達は二人が帰った後で何か言いたげだったが、こちらの様子を見て口をつぐんだらしく、そのまま僕は自室に戻り布団に潜り込んだ。
先生が工房を空ける前からしばらく家に篭っていたけれど、それから数日はその時にましてどんよりとした気分で過ごした。
寝て、食べて、ぼんやりと外を眺める…生き物の放つ波が目に映っても、ただただ風景の一部のようで、意味を持たない色の固まりにしか見えない。
あれ以来幼なじみが訪ねて来ることはなく、他に訪ねて来るような人間もいない。
家族も何か腫れ物でも扱うかのように、余計な刺激を与えないようにしているらしく、ひとりの時間が伸びていく。
何をしたらいいのかも判らず、過去に読んだ本や魔術の資料を読み返そうとしてみても眺めているだけで頭は働かない。
そんな中、突然部屋の扉が開かれ、隙間から顔を覗かせた姉は部屋中に散らかった紙や何かに顔をしかめながら『お客さんよ』と言っただけで部屋に入ってくることはなかったが、散らかった紙に囲まれて床に丸まったまま僕が動かないのを見るとため息をつき、通り道の分だけ紙を拾いながら近付いてきた。
「ほら、何でそんな風になっているのか知らないけど、とりあえず起きて。この前先生と一緒に訪ねてきた人が家の前で待ってるから」
「…あ…」
姉に引き起こされながら、そのうちに荷物を取りに来ると言われたことも忘れ、床に広がっている紙の中に預かっていた資料の一部も紛れさせてしまっていた事に気付いて頭が痛くなった。
「ごめん、中で待っていて貰って…」
「それが入ってくれないのよ、貴方を訪ねてきたのは間違いないみたいなんだけど…」
仕方なくよれよれの格好のまま戸口まで行くと、精霊が人形の姿で微動だにせず立っていた。
「…あの、荷物、今用意しますから中にどうぞ…」
綺麗なお辞儀に向かってそう言った僕を、顔をあげた後で瞬きをしながら少し考えるように眺めた精霊は静かに頷き、改めてお辞儀をすると家の中へと入ってきた。
客間で待っていてもらうつもりだったのだけれど、精霊は何故か留めようとしても聞き入れてくれず、僕の後について部屋までやってきた。
「ここで待っているならその椅子にでも座っていて下さい」
扉を閉めながら、返事はないのだろうが言うだけ言っておこう、とそう口にした僕は『気にしないで』と精霊が人形のまま答えた事に驚いて固まってしまった。
「手伝っても構わない?」
答えられずにいる僕に微笑みかけたかと思うと精霊は人形を離れ、部屋中の紙を宙に巻き上げる。
見る間に風に乗った紙があちらへ、こちらへと動きだし、机の上や足元にいくつもぴしっと整えられた山が築かれたけれど、精霊は僕の目の前までやってくると実態のない魔力そのものの姿で首を傾げて少し心配そうな様子を見せた。
"種類ごとに分けたつもりだけれど、間違っていたらごめんなさいね"
「…なん…どうなって…」
"この前もこの姿で会ったじゃない…"
「そうじゃなくて、人形…声が…」
「ふふっ、この声素敵でしょう?」
精霊はゆったりと流れるように人形の中に戻ると、まるで歌うようにそう言った。