ノクイアケス

ノクイアケスとゆう世界を舞台にした空想小説。

ある魔術師の記憶 8

人にぶつかっても足を止めず、謝りもせず。

塔を駆け降り、行き先さえ解らないままただ街から離れるように走り続けた。

 

自分が何を感じているのかを理解したくなくて走りながら意味もなく『…世界は光に満ちていた…光の中に力が…』と世界の成り立ちと云われる伝承を繰り返す。

普段ろくに走りもしない身体は次第に言うことを聞かなくなり、何度目かの繰り返しの途中で足がもつれてそのまま地面に倒れ込んだ。

「…特別じゃなきゃいけないの…? …僕が本当に特別だったら…」

 

エテバスは何でも出来る、ひとりで何でも…そう言われて育った。

波が見えたせいか、もともとそうゆう性格だったのかは判らないけれど、何かをやっていてもぼんやりしていることが多くて、人の話も半分しか聞いていない…小さいときからそんな風で、魔術が使えるようになってすぐに火事をおこしかけた。

幸い大事にはならなかったし、自分を含めて誰かが大きな火傷をするなんてことも無かった。

炎の魔術を使える子供が火事の原因になるのはよく有ることだし、誰も僕を責めなかったけれど、それ以来、自分の考えが及ばないことに、自分の手に負えないかもしれないと思ったことに、手を出すことが、魔術で何かをするのが怖くなった。

ひとりで何でも出来るはずのエテバスが、ひとりじゃ何も出来なくなった。

なのに誰もそれに気がつかなくて、僕も口にする事が出来なくて…魔力は十分にあるし、魔術式を理解する事も出来る、ただ誰かがそばに居ないとどんなささいな魔術ですらつかえない。

誰かが居ないとどうにもならないのに、それを知られてはいけないような気がした。

 

倒れた場所は背の高い草の原で、僕の姿は誰からも見えていないだろう。

風が揺らし、草が擦れる。

その音に自分が鼻をすする音が混じるのがとても間抜けだな、と思っている内に、ぼやけた視界の端から赤い色が大きく張り出してきた。

「死を悼んで泣くのなら何も云わないけれど、自分が情けなくて泣いているのならさっさと起きて行動なさい」

「…何も言わないで…」

「優しい言葉をかけられるのが嫌なのでしょう? だったら安心していいわ、私はそんなことしないから」

急に胸ぐらを掴まれて身体を持ち上げられたと思ったら、そのまま力任せに顔を殴られて身体が吹っ飛んだ。

「足掻きなさい。考えなさい。言ったでしょう"エテバスが想像したことは実現する"と」

「…ひてないひゃないれすか…」

「ええ、だからこそ足掻いているの。魔術が使えなかったエテバスが魔術師として工房を持てているんだもの、出来ないことなんかないわ」

半分は自分に言い聞かせるようにそう口にして、草を揺らす風に向かってまるで挨拶をするように手を挙げた魔術師は、草の間から見える僕の顔に怪訝そうな表情を浮かべた。

当の僕は魔術師の言葉に怒ったのか、驚いたのか、悲しんだのか、沸き上がるぐじゃっといろんなものが詰まった感情に表情を定めることが出来ずにいた。