ノクイアケス

ノクイアケスとゆう世界を舞台にした空想小説。

雨の後 11

居心地の悪そうなシアンにシャトは少しかすれた小さな声で『おはようございます』と言って手に触れたローブをきゅっと掴む。

「ヒュアさんからタドリのところにシャトがいるって聞いて、家教えてもらったんだ。…タドリは?」

シャトは顔をシアンの方に向けたまま身体をずらし扉を指差した。

シアンは中に入ってくることはせず、その場で『タドリー?』と声をかけ、少し間をおいて続ける。

「ヒュアさんには入って構わないって言われたんだけど、いいのかな…」

シャトは『少し待って下さい』と言って奥に消えたかと思うと、一人のイマクーティを連れて戻ってきた。

「シアンさんね? どうぞ、入って」

「えっと…お邪魔します」

シャトは戸惑った様子のシアンにそのイマクーティがタドリの母親であることを教えた。

「すみません、突然お邪魔して…すぐ帰りますから」

「いいのよ。ごめんなさいね、カティーナさんが起きられるようになったと聞いて、朝のうちに夫とご挨拶に伺って来たのだけれど、本人は…。何のお構いもしなくて悪いけれど、ゆっくりしていってね。私が居ると話をし辛いだろうから…」

タドリの母親が奥に姿を消すと、シアンはシャトに向き直ってこめかみを掻きながら、

「顔色も悪くないみたいだし、とりあえずよかった」

と言ったが、視線が泳ぎ、どうにも落ち着きがない。

「あー、ごめん、なんか、シャトの親父さん怒ってたりとか…しなかった?」

シャトが首を傾げ不安げにシアンを窺うと、シアンは『いや、なければいいんだけど』と言って、こくこくと頷くと、タドリが居るとゆう部屋の扉の前まで行って口を開いた。

「タドリー、おはよう。カティーナから二人に伝言。傷はもう大丈夫だから安心してくれって。お礼言いたいからあとで会いに来たいって」

シャトを振り返ったシアンは、

「カティーナの傷はもうほとんど治ってるよ。ヒュアさんはむしろタドリの傷のが心配だってさ」

と続け、ポケットの中から紙に包まれたいくつもの飴玉を取り出した。

「お見舞いって訳じゃないけど、手ぶらってのもあれかなと思って。シャトも食べる?」

シアンはそのうちの一個をシャトに差し出し、自分でも一つ口にほうり込む。

「タドリー、飴置いとくからー」

シャトは差し出された飴をしげしげと眺めていたが、『綺麗ですね』と言いながら手に取るとふっと微笑み、その顔にシアンは肩の力抜いてぷはぁーと息を吐いた。

普通に話しても大丈夫なのかとずっと気を張っていたらしく、とっと音を立てて扉によりかかり、まじまじとシャトの顔を見ている。

「どうしたんですか?」

「何でもない何でもない」

そう言ったシアンはにっと笑い、かろかろと口の中で飴を踊らせながらもう片方のポケットから何かを取り出そうとして『うわっ』と声を上げた。

寄り掛かっていた扉が急に開き、そのまま後ろに倒れ込んだ先には、驚いて強張ったタドリの顔。

自分から扉を開けた訳ではなく、座り込んでいた扉の前から立ち上がった事で扉が開くようになっただけで、突然のその状況に動けずに居るらしかった。

「おはよう」

しりもちをついたままタドリを見上げたシアンに声をかけられしゃがみ込んだタドリの手からは血が滲んでいるのか、包帯が赤茶色に染まり、ぐしゃぐしゃと掻き乱された周囲の毛にも血がこびりついているように見える。

「傷ひどくなってんじゃないか!」

シアンはばっと起き上がり、タドリの腕を掴むと回復を助けるつもりで魔力を込めようとしたが、タドリはその手を振り払い、シアンはもう一度しりもちをつく。

驚いた様子のシャトの顔を見たタドリは声を上げて泣きはじめ、シアンは言葉を失っていた。

 「タドリさん、大丈夫です。カティーナさん、傷が治ったって、聞こえていたでしょう?」

「でも…! でも…」 

「大丈夫。傷、見せてください」

タドリはシャトの言葉におとなしく包帯の巻かれた手を出し、俯いたまま『ごめんなさい』と言うと鼻をすすりあげた。