ノクイアケス

ノクイアケスとゆう世界を舞台にした空想小説。

ある魔術師の記憶 34

「…フィユリさんと、シギーさんは…」

魔術師の言葉を借りるならシギーさんにとってのフィユリさんは"大切な相手"、そしてフィユリさんにとっても同じなのだろう、とは思ったのだけれど、その関係性を言葉に置き換えることが出来ないまま言葉が途切れた。

ただ、細工師はこちらの言いたいことをくんでくれたらしく、『信頼だけでなく、また違う何かがあったのでしょうね…』と壁の棚に手を伸ばし、無造作にに置かれていた物体…僕のせいで壊れたフィユリさんの身体の破片に手を伸ばす。

「きっとあの人にとってのお二方も…。少し、羨ましいです…」

何かを懐かしむような目をする細工師の言葉の後で、とっ…たん、とっ…たん、と、階段からかたい音が聞こえてきたかと思うと、ぐらつく身体を壁に持たせかけるように、ぎこちない動きで無理に階段を下りてくる人形の姿が見えた。

今にも転がり落ちそうな危うい足運びに気を取られつつ、『…おかシな事をいうのネ』と声にも話し方にも違和感はあるけれど、フィユリさんの気配そのままに言ったその言葉に僕は細工師を振り返ろうとした。

しかし、細工師が視界に入る直前で、階段を下りきらないまま床に崩れ落ちるように倒れかけたフィユリさんを不用意に受け止めようとしてそのまま下敷きになり、そのはずみで強かに頭を打ち付け気を失ったらしく、気がついた時には翌朝で、魔術師の眠っていたベッドの横に敷かれた質素な敷物の上にいた。

 

「…貴方、ここで何をしているの…?」

朝日らしい明かりの広がる部屋の中、いつからそうしていたのか、ベッドの上から手で身体を支えるようにしてこちらを見下ろしている魔術師の、棘もなく、本当に不思議に思っているらしい声に、僕自身も状況を把握するまでに時間がかかった。

魔術師の放つ波は色も薄く弱々しいけれど、ゆったり穏やかにその身体を覆っている。

フィユリさんの姿はなく、細工師は部屋の隅で傍らの椅子を支えにするように眠っていた。

「どうしてそんなところに寝ていたの?」

「…昨日…の、夜、工房に降りてきて…」

口にしはじめて、頭の中では食事の前後から、階段を降りてきたフィユリさんに手を伸ばすまでの一連の出来事が苦もなく思い出されたのだけれど、目の前の魔術師の口調や雰囲気に、それらはすべて夢だったのではないだろうか、とそれよりあとの言葉を継げず、身体を起こしながら中途半端に開いた口を一旦閉じた。

「…どうしたの? 何かあるならはっきり言いなさい」

「…昨日のこと、覚えていますか…?」

恐る恐る尋ねて、魔術師の顔を窺ったのだけれど、しかめられた眉間のしわはいつもより浅い。

「昨日…? 何があったかなんていちいち覚えてないわ。目が覚めたのなら、さっさと動きなさい。式は刻めるようになったの? 魔術もろくに使えない、式も刻めないなんて、そんな魔術師に仕事なんかこないわよ。…ほら、とっとと…!」

頭を小突かれ、言葉に追い立てられるように工房へ足を向けながら、まるまる昨日の夜の出来事が無かったかのような魔術師の言葉に、夢だったのでは、とゆう思いが強くなった。

しかし、工房の机の上に置かれた二つのカップや蜜玉の入った瓶が、階段の下に無造作に座らされているからっぽの人形が、そしてキッチンの机の上に置かれたままになっていたシギーさんのノートが、自身の記憶と繋がっていく。

混乱する頭を冷やそうと、瓶の中から汲んだ水に顔を突っ込んだ。

"使うのはいいけど、私しばらくはこの姿で過ごすことになるだろうから、必要な分、自分で汲んできてね…?"

近づく気配、聞こえてきた声に水気を切ることもなく顔を上げると、頭上では形を定めないままのフィユリさんがゆったりと円を描くようにしながら、火の気のないかまどの中の灰を風を使って掻こうとしているところだった。